日本の芸能界を席巻しているプロダクションの原型は、1955年に故・渡辺信とその妻・美佐によって創られた。
1948年、渡辺(柳葉敏郎)は大学に通いながら、ミュージシャンになることを夢見ていた。友人の清水隆(吉田栄作)と共にジャズ六重奏を結成し、有力タレント事務所の娘である美佐(常盤貴子)をマネージャーとして雇っていた。しかし、朝鮮戦争後、ジャズの人気はロカビリーに押され、シンとミサは演奏家としてではなく、プロモーターとして、その流れに乗ることにした。
そして、1960年代を代表する大スターたちの代理人を務めることになった。しかし、渡辺はフジテレビと契約し、「ザ・ヒットパレード」という音楽番組を毎週制作するようになってから、その運勢は一気に上昇した。