1972年2月、軽井沢の山小屋「あさま山荘」で、日本赤軍の5人が経営者の妻を人質に立てこもる事件が発生する。警察庁の佐々淳行(役所広司)は署長(藤田まこと)から指揮を任され、現場へ急行する。数日で解決するはずの事件だが、拳銃の使用許可が下りず、さらに警視庁と県警の厳しい冷遇と継続的な反目があり、事態は極めて複雑化する。
10日目、強行突破を図るため、結局クレーン車で操作するレッキングボールでロッジの外壁を壊し、突入を開始する。しかし、途中でクレーンが故障したため、この作戦の継続に支障をきたし、隊列は混乱に陥った。機動隊長が犠牲になったため、佐々さんが最前線に立ち、包囲を継続する。彼の指揮の下、機動隊はついに誘拐犯のいる部屋へ突入する。過激派はその場で全員逮捕され、人質も無事であった。