1919年の五・四運動から1928年の景山での勝利までの10年間、「赤い船精神」を引き継ぎ、中国共産党の発足、発展、成長を描く。
1919年、五四運動は北京の学生の抗議運動から発展した。有力紙「新青年」の編集長であった陳杜秀は、学生に対する北洋軍閥の処遇に抗議し、逮捕、投獄された。遠く離れた長沙で、毛沢東や何舒亨らが動員され、救出作戦が展開される。李大昭の尽力により密かに上海に移された陳杜秀は、ついに中国を救うには支配権を転覆させるしかないことを悟るのである。
その後、上海では共産党支持者の小集団が設立され、大集会の開催に向けた準備が進められた。フランス租界での警察の妨害により、集会は嘉興の南湖にある船に移された。毛沢東、董事長、陳丹秋ら主要な代表者が先駆者となり、中国共産党誕生の道を切り開いた。