1930年代後半(ショーピリオド14)、日本ではドイツとイタリアとの軍事同盟に参加するかどうかで、二つの立場が対立していた。この時、同盟に強く反対していた山本五十六が連合艦隊司令長官に任命される。翌年9月27日、日本、ドイツ、イタリアは枢軸国同盟を結ぶ。
1941年12月7日、山本五十六が真珠湾攻撃を指揮する。この攻撃の主な目的は、早期講和の獲得である。奇襲は成功したかに見え、甚大な被害をもたらしたが、アメリカの空母はこの攻撃で被害を受けなかった。攻撃後、枢軸国同盟は当初、敗北することなく前進を見せた。
1942年4月18日(ショーピリオド17)には、米空母から飛来した米軍B-25B爆撃機の編隊が初めて日本本土を攻撃した。日本軍はこれに対抗してミッドウェー作戦を実施したが、作戦は失敗し、空母4隻を失った。
ミッドウェーでの勝利に勇気づけられたアメリカ軍は、ガダルカナルへの上陸作戦を進めた。日本軍と米軍は激しく戦った。日本軍は米軍との戦闘による犠牲のほか、飢餓、脱水症状、病気などに苦しみながらガダルカナルに上陸した。日本軍はガダルカナルで崩壊寸前となり、山本五十六はより多くの命を救うために撤退命令を出した。
ガダルカナルからの撤退が完了すると、山本五十六は飛行機で前線の兵士を訪問し、士気を高めた。彼の飛行機は、米軍に迎撃されることになる。